26s face #3

「あっ、すみません。」

僕がそう言うとその女の子は足早に去って、水族館の入口に吸い込まれていった。
チケット売り場でチケットを買い、入口で場内のパンフレットをもらう。さすがに平日昼間なのでお客さんは少なかった。

園内に入り僕は早速、魚たちを見て回った。色々な地域、深海や川に生息する種類などありとあらゆる魚が展示されている。そして一通り見てイルカのプールまでやってきた。僕はイルカを見ていると凄く心が癒されるので水族館の中で好きな場所だ。水槽のガラスに鼻が付くほど近寄って見ると、こちら側が見えているのだろうか?イルカが僕に向かって泳いできた。もっと多くのイルカを呼び寄せようと、手を振ったりしていると、隣で笑い声がした。

ふと、横に目をやるとさっきの女の子が僕を見て笑っていた。僕は恥ずかしくなり手を振るのを止めて、水槽からもすぐに離れた。

「イルカ好きなんですか?」

彼女はワイヤレスイヤホンを外しながらそう言った。

「そ、そうイルカ。好きです。」

さっきの姿を見られていたことと、急に声をかけられたので咄嗟に返せた言葉はそれだけだった。その後、2、3言葉を交わして、イルカのプールの目の前にあるベンチに腰掛け彼女と少し喋った。彼女は地元鴨川の高校を今年の春、卒業する予定でちょうど春休みらしく、今日は一人で水族館に来たらしい。卒業後は神奈川の大学に通うため、始めてのひとり暮らしをするということだった。当然自分の事についても喋った、自己紹介から始まり、自分もひとり暮らしをしている上で、大変なことや逆に楽しいことについて教えてあげた。彼女は笑ったり、難しい顔をしながら僕の話を真剣に聞いてくれた。すると彼女が突然こう言ってきた。

「いじめられたことってあります?」

一瞬、言葉が出なかった。この話の展開からどうしてこんな話題を振ってきたのか僕には分からなった。もしかしたら僕がそういう風に見えたのかも知れない。僕が小学生の時にされたいじめと言えば、上履きを隠されたり、好きでもない女の子の事を好きだと言いふらされたくらいで、一週間もすればそのブームは終わっていた。誰でも一度は体験している程度の軽い「いやがらせ」と言った方が良いのかも知れない。

「いじめられたことはあまり無いな。どうして?」

少し間が空いた。そして堰を切ったように話し始めた。女の子同士というのは難しいというのは知っていたが、最初は2、3人のグループから無視が始まり、クラスの女子全体、ついにはクラス全体から無視される様になったらしい。学校ではもちろんのこと、チャットが出来るSNSの中でも同様の事をこの半年以上されていた。自分を守る為に、チャットのグループを抜けるのに度々グループに招待され、そこには自分の事であろう、目を背けたくなる言葉が記されていた。それと普段はずっとワイヤレスイヤホンをして雑音が耳に入らない様にしているという。音楽もかけずにただただイヤホンをしている。そうする事で周りの音や言葉が柔らかくなり、ココロへの衝撃も少ないと言っていた。

僕はただ「うんうん」と聞いてあげる事しか出来なかった。彼女が抱えている問題を解決する様な特効薬になりそうなアイデアも無いし、アドバイスも出来ない。ただ聞いていた。

僕はアカウントの1つで高校生も演じていた。サッカーに打ち込んでいて、どちらかというとクラスでも人気者の方だ。友達がたくさん居て、男友達とばかり遊んでいて女子には目もくれない硬派なタイプだった。自分が演じていたキャラクターだったら、こういう時どうするのだろう?女子に興味がないから放っておくのか、それとも正義感を出して彼女を助けるのだろうか?

そして僕自身だったらどうするのだろうか…。

話しを聞きながらそんな事を考えていた。
彼女はひとしきり話しをすると満足した様でイヤホンをまた耳にはめた。そしてひと言、

「変な話してごめんなさい。聞いてくれてありがとう!」

と、言って去って行った。僕は結局、優しい言葉も励ます様な言葉もかけてあげる事が出来なかった。ただ上辺だけの安っぽい言葉は、僕が愚痴とか悩みをSNSに投げ入れた時に来るリプライと同じになってしまう様な気がして止めたんだと思う。何も言葉をかけてあげられなかったけど、彼女は確かに「ありがとう」と言っていた。自分も愚痴や悩みを本当は聞いてもらいたいだけなのかも知れない。結局、それは自分でしか解決できないのだから。

そして、シャチのショーを見るために会場まで移動した。この水族館は海岸の近くにあり、ショーを行うプールを観客席から見るとインフィニティープールのように見え、まるで自分が海の中を覗き込んでいるように感じられる。あの大きなシャチが水面から飛び出し、水に落下する時には大きな水しぶきが上がり迫力満点のショーだった。

スマホを見ると時刻は14時を回っていた。この辺りでは何もすることが無いので家まで帰ることにした。来た道をまたとぼとぼと歩いていく。国道128号線なので車の往来は結構激しく、たまに観光バスや大型のダンプカーなども凄い勢いでとおり過ぎていった。駅に着き自宅がある東金駅までの時間を調べた。時刻表を見ると14時53分発千葉行きが一番早く、電車がくるまで15分位時間があったのでベンチに腰をおろした。

その時ふっと「どうしてスマホのアプリで電車を調べなかったんだろう?」と思った。そしていつの間にかスマホあまり弄らなくなっていた自分に少し驚いて笑ってしまった。昼下がりの電車の中は暖かくて最寄り駅までの1時間半の道のりは、普段からの寝不足解消にはもってこいの長さだった。

部屋に着くと朝の慌ただしさが一目で分かるような風景だった。食器はキッチンに置いたまま、洗濯物はピンチから今日履いている靴下だけが取られていて、机の上には昨日食べ飲みしたスナック菓子やビールの空き缶が散乱していた。普段なら会社から帰ってきてすぐベッドに横たわり、スマホを弄るのだけど今日は時間もあったので少し部屋の掃除をした。僕は血液型はA型だから几帳面な方だけど、掃除は大の苦手で部屋をキレイにしておくことが出来ない。ただ変なこだわりがあって、約束とか時間にルーズなことは絶対に許せなかったり、毎週布団は干さないと気が済まない。一通りの掃除が終わった頃にはもう日が暮れていた。大量に出たゴミ袋を集積所に捨てて、そのまま食事に行くことにした。

アパートの近くには選べるほど店は無い。家の近くの川沿いにポツンとある焼き鳥屋にばかり行っている。もうかなり常連の域に達していて、店に入れば何も言わずとも大将が生ビールを注いでくれる。ビールを飲みながら今日の出来事を振り返ると何だか笑いがこみあげてきた。朝あんなに怒っていた僕は何人かの人と出会ったり話したりして、安らかな気持ちになっている。いつもなら仕事帰りでしかめっ面をしながらビールを飲んでいるけど今日は違った。

「健司君、今日は何か良いことでもあったんかい?」

大将も自分の顔つきが違うことに気づきそんな言葉をかけてくれた。この店に来ても僕はいつもスマホを弄っていることが多くて大将とあまりじっくりと話したことは無かった。この日は早い時間に店に来たのでお客さんはまだ自分一人だけだった。SNSで起こった出来事以外を掻い摘んで大将に話すと「へぇ、そうかい、そうかい」と仕込みをしながら聞いてくれた。ひとしきり話し終わって、飲み物の追加をしようとした時、店の引き戸がガラガラっと開いた。

「こんばんわ」

そこにはスーツ姿の女性が立っていた。

第四話につづく

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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